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no name
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自分的には、サンプリング作曲ってのは一種のパロディ作品ととらえているんですが、昔は多分そんなhardcoreに触れてなかったからか、どうしても「これはパクリ......」って何回か思ってしまうこともしばしばあったんです。
この機会に聞いておきたいのですが、パロディとパクリの境界線というものは存在するのでしょうか?あったとしたら、その境界線ってどこなんでしょうか?
頭の悪い失礼極まりない質問で申し訳ございません。
でも、なんか気になってしまうで......
長文失礼しました
no nameさんメールありがとうございます。
とても真剣なご質問だと思いますので、私も真剣に答えさせてもらいたいと思います。まず境界線ですが、no nameさんが「パクりだ」と感じたらはそれは即断でパクリだと言って良いのではないかと思います。パクリと感じるかパロディと感じるかはそれぞれどのような基礎を持って音楽を聴いているか、その聴き手によって大きく分かれますね。オマージュであり、インスパイアであり、パロディだと感じると感じる立場からすればそれは「新たなる変容」であるのだと思います。しかしパクリだと感じる立場からすればそれは「詭弁」の一言に過ぎません。
例えばエレクトロニックミュージックを聴いている人間ならほぼ99.9%は聞いたことがあるであろうビートにAMEN BREAKSというビートがあります。
Amen Breaks の歴史
全編英語ですが、言わんとすることは音を聴くだけでわかると思いますので適当に聴き流してみてください。今や世界中のありとあらゆるアーティストに使われるこのビートですが、こちらは元々アーメンブラザーズというアーティストが演奏したトラックの中でたった4小節登場しただけのビートです。
しかし、あまりに響きがよくありとあらゆるアーティストがリズムとして使用し、ちょっと簡単に言葉では表せないほどエレクトロニックミュージック全般に多大な影響を与えました。例えば初期においては殆ど全てのアーティストがアーメンブレイクスを使って作曲していたジャングルというジャンルもあります。つまりジャングルという一面だけ見てもこの一曲のサンプリングだけで新しいジャンルが創造されてしまった訳ですね。
ジャングルブームは終焉しましたが、2008年現在アーメンブレイクスは――少々今更感はありつつも――エレクトロニックミュージックにおけるベーシックビートとなっております。以上は「新たなる変容」の立場が語った「詭弁」です。
もう一つ例を挙げて考えてみましょう。初期のヒップホップは、二台のターンテーブルによってファンクレコードの特定の部分を永久に鳴らし続けるブレイクビートの技術――歌やサックスのメロディが鳴り終わって小休止する部分、これをブレイクと呼びます(この部分になっているドラムビートをブレイクビート Break Beatsと呼びます)。ダンサーがこのブレイクビートの部分でやたらと激しくダンス(これをブレイクダンス Break Danceと呼びます)することに目をつけたDJがこの部分だけをループさせることができればダンサー大喜びなのではないかと考え、練習に練習を重ね生み出した技術――が確立し、そこにMCによるラップが乗ったことによって生まれたサウンドだそうです。
あるプロデューサーがこれを「新たなる変容」だと考え、「これは売れる!」とヒップホップDJ, MCにレコード化することを強く勧めましたが、当時これを「パクリ」だと考えていた当のDJ, MC達は「他人のレコードにラップかましただけのレコードなんて誰が買うんだよ」ということで撥ね退けてしまったそうです。
結局その話を聞きつけた「新たなる変容」の立場の別のDJが、自宅で必死に無限ループのブレイクビート――間違えたら取り直す形で延々と録音していたそうです――を録音し、ラップを重ね、近所の窓を叩いては「このテープを買ってくれ!」と延々と歩きまわっていたそうです。ということで初期のヒップホップを聴けば分かりますが、初期の殆ど全てのヒップホップが他人のレコードをサンプリングしてそこにラップをかましただけの見方によっては「新たなる変容」であり、見方によっては「パクリ」です。
左: The JBs / Soul Power ´74 (02:08より)
右: JLO / Get Right (01:20より)
もうちょっと微妙な例で考えてみましょう。右に挙げた楽曲はR&BのスターJLOのヒットソングの一つです。冒頭から軽快なサックス(01:20より)が鳴り響いています。これは英語版Wikipediaにもしっかりと書いてありますが、左動画 The JBsの大変に有名なサックス(02:08より)の弾き直しです。JBsのこの部分はサンプリングとしても大変に有名であり、この部分をサンプリングして使っている楽曲はHip Hop, R&BのみならずTechno, Houseの分野でもとても両手で数えられない程の楽曲が使用しています。
これは「新たなる変容」でしょうか「パクリ」でしょうか。もしJLOがライセンスを取得せずこのサンプリングを使った場合はどうでしょう。著作権違反だ、即ちパクリだと言った場合、その人の「パロディ」と「パクリ」の境界線がここではっきりと致します、「著作権」です。
では現実のJLOのようにライセンスを取得した上で、別の演奏者が引き直している場合は如何でしょうか。これにより著作権的にクリーンであると同時に音質向上も成し得ています。著作権的にクリーンであるかどうかは関係ない、元曲を聴いてまるごと同じフレーズを使っているのだからこれをパクリだといった場合、その人の境界線は「同じ音階か否か」ということになります。(ちなみにフレーズを丸ごと引用すると、量次第で著作権違反となることがあります。しかしコード進行を丸ごと引用しても、例え一曲全ての部分を引用したとしても著作権違反にはなりません。コード進行が同じでも「パクリだ」といった場合、その人の境界線は「同じコード進行か否か」ということになります。)
ではではもしJLOがJBsについて一切触れずに出版した場合如何でしょう。これだけのヒット曲です、実際にJBsという存在を知らずにテレビでJLOを楽しむ女子中学生はとても沢山いると思います。「原曲を明示していないからパクリだ」という場合、その人にとっての境界線は「説明責任」です。
ではではではもしJLOがこんな有名なクラシックではない、どこの誰とも知らないような楽曲からフレーズを引っ張ってきた場合は如何でしょう。「誰もわからないような楽曲からの引用なんてリスナーへの詐欺でありパクリだ」という場合はその境界線は「知名度」です。
ではではではではJLOが実は嫌いな曲だけど有名だからの一点張りでこのフレーズを使っていることがスキャンダルとして発覚した場合は如何でしょう。「リスペクトがないからパクリだ」という場合はその人の境界線は「悪意」です。
DJ KENTARO ビートジャグリング (01:38より)
ヒップホップサンプリングの延長線で今度はビートジャグリングを考えてみましょう。バトルDJの表現手法の一つにビートジャグリングというものがあります。ビートジャグリングとはどんなものだろうと知らない方は動画を見てください。つまりはこれです。
DJ KENTAROレベルだともしかしたら自分のレーベルから出版したブレイクスレコードをリリースしているかもしれませんが、通常のバトルDJはこのような作業を市販のレコード(もしくは市販のレコードのおいしいところだけ勝手に吸いだした海賊盤的なレコード)で行います。ここでは今DJ KENTAROがジャグリングをしているレコードが市販のレコードであるとして考えて見てください。さてこれは如何でしょうか。
人の境界線はそれぞれだと言いましたが、もはやここまでの凄技を見せられた場合、普通これを「パクリ」だとは言わないかもしれません(勿論言ってもそれはそれで構いません、これは割合の問題です)。もしヒップホップDJが使うブレイクビートを「パクリ」だと考え、このビートジャグリングを「新たなる変容」だと考える人がいた場合、その人の境界線はずばり「芸術性」です。
芸術、この厄介な言葉がまたやってまいりました。芸術性という境界線はいとも簡単に他の境界線と矛盾し合ってしまいます。比較的メジャーである著作権という境界線でもう少し考えてみましょう。普段慣れ親しんでいるクラブシーンという世界がありますが、これは主に他人のレコードをプレイしているだけの「パクリ」の世界です。
DJ MIXという連続プレイを通してDJの個性を発揮し、そのレコードが本来持っていなかった持ち味を別の形で引き出しパーティを盛り上げている。これは「芸術性」という境界線で考えるとクラブイベントに遊びに行く殆どの人から見てOKなのです。
しかし「著作権」という境界線と殆どの場合は矛盾してしまう。結果、「著作権」という境界線を持つ人がDJ全てをパクリである、と否定しているかというとそんなことはなく夜な夜な楽しくダンスフロアで踊っていたりする訳です。これはダブルスタンダードなのですが、このようなダブルスタンダードも含めてそれは彼の「境界線」なのだと思います。
ダブルスタンダードはこの世界ではこれといって珍しいことではありませんね。「アニメのパロディとか、あんなのただのパクリじゃん。」とは思うけれど、世界中のクラブミュージックアンセムをサンプリングしているオシャレな「Pシリーズ」は「新たなる変容」だと感じ、そればかりをプレイするDJなんてザラにいそうですね。
例え芸術性と著作権という二本の境界線が矛盾しなくても、著作権という一本の境界線の中でも簡単にダブルスタンダードが起きます。さっきまで(ニコニコ動画で)アニメを鑑賞していたけれど、5分後には東方のボス・弾幕動画に「許可は取ったのか!?」(※東方ではプレイ動画の公開は規約違反)と(ニコニコで)動画で書き込み、ついでにパクリだとネットでもっぱら噂のJ-POP PVを(ニコニコ動画で)見ては「パクリ氏ね!」と書き込み、その後ジャズ喫茶へ著作権料強行徴収のニュースを見ては「カスラック氏ね!」と書き込んでいるかもしれません、ニコニコ動画で。この場合、もはや境界線という言葉が通じなくなりますね。ここまで来ると「好き」か「嫌い」かです。
Ravers Choise / Vol.6
好きか嫌いかがはっきりわかるダブルスタンダードが私達の身近なハードコアにもよくありますね。
Ravers Choise 6(ビートルズサンプリング)を聴いて「何でも取り入れるのがハードコアの良いところだよね!」と言いながら、J-COREを聴いて「あんなものは本当のハードコアではない!」と言う人はいます(本当・本物、これらの言葉が指す先はつまりオリジナルとパクリなのではないでしょうか)。
逆にJ-COREファンにも「J-COREはヨーロッパのハードコアには無い進化したハードコアだ、"オタクハードコア"だなんて言っている連中は頭が古い。」と言いながら、DENPA!!!を見て「あんなものは本当のオタクイベントではない!」と言う人もいます。そういう人は「DENPA!!!は秋葉原のオタクイベントには無い進化したオタクイベントだ。」とは言えない訳です。
こんな話をとある人ととしていたら「そんなこと言ったってテクノウチも絶対に受け入れられないものってあるでしょ?」と言われました。そうなんです。私だってどのような理屈―屁理屈―詭弁を並べても嫌なものは嫌だというものがあります。だからとある人から見てキモいものはどうしたってキモいのですね。
私がこのブログで普段延々と言っているJ-COREのお話も、J-COREをお世辞にもよく思っているとは言えない層に対して、「ぼ、僕達はキモくないんだよっ!」とか言いたい訳ではなく、J-CORE的な楽曲が本当は好きで堪らないはずなのに、好きな音楽をあえて蔑む行為に対して、「自分の好きなモノに卑屈になるのはやめよう、好きなモノは好きだと言おう。」と言いたかった訳です。
だから「境界線はどこにあるのでしょうか?」というご質問ですが、その境界線はひとえにno nameさんの持つ直感そのものではないかと思います。直観はそう簡単に変えられるようなものではりません。とどのつまり「好き」か「嫌い」なのではないかと思うからです。
左: Perfume / ポリリズム
右: Underworld / Two Months Off
中: その合成トラック
例えばパフュームのヒットソングとアンダーワールドの世界的なヒットソングは、サビの部分のバッキングがほぼ同じであり、中央動画のようなマッシュアップ動画も1つや2つではないため、これは案外有名なのかもしれません。というか聴けばわかります。そしてこれをここでこのマッシュアップ制作者のように「この二つを被せると面白い」と思うか、動画のコメント内にあるように「パクリだ」と思うかで非常に意見が分かれます。私の場合、「ここまで似てるバッキングでここまで違う楽曲に出来るのか」と中田ヤスタカの能力に驚かされるばかりです。
そしてオレンジレンジ盗作疑惑・B'z盗作疑惑・ジョジョの奇妙な冒険盗作疑惑に至っては、もはやここまで来るとどうでもよくなってしまうのが私の感性です。あえて言えば「荒木飛呂彦レベルになるとこんなにも広いジャンルに影響されるのか!」とかそんな感想しかこぼれません(この元ネタ集は本当に美しくて感動しますので是非見てみてください。)。
それでも嫌いな人はここまで追いまわる現実があるのです。オレンジレンジはなんとインタビューでメンバー内の合言葉が「パクろうぜ!」であると答え、楽曲のタイトルも露骨に原曲に合わせています(ロコモーションに対してロコローション等)。しかしこれだけ言っても、ネットでこの発言はネガティヴな方向で大変な話題になりました。ここまで言ってもパロディであるとは考えない人が、これ程沢山いるのです。勿論そう考えないことが良くないと言っているわけではりません、わたしがいいたいのはつまり、人の境界線というものはここまで違うのですね、ということです。
以降、サンプリングとは全く別の話になります。ここからは創作と模倣の話であり、模倣の一番極端な事例であるサンプリングとはまた話の次元が違います。続けて並べますが決して混同しないでください。
ここからの内容は拙著「読む音楽」の内容とかなりに被りますのでご注意を。音楽の世界では当然ながら音で語るのが主流ですのでオレンジレンジが「パクろうぜ!」と言うだけで大批判が起こります――批判が起こること自体は何も悪いことではないことが勿論前提です――が、文字が主流の小説の世界では小説ノウハウ本ではパクリを踏まえた上での面白い本がたくさん出版されています。
「マンガを読んで小説家になろう」は、マンガは小説と違って展開がはっきりしてるから分析がしやすく真似しやすい、マンガの良いところをガンガン吸収して小説のストーリー展開に活かそうではないかと云う本です。
まず、この本の恐ろしいところは「あなたオリジナリティ、オリジナリティって言ってるけどねぇ、そんなものは!」(※念のため言っておきますが、こういう言葉づかいはしていません。)みたいに、如何にオリジナリティ信仰が創作に邪魔であるかを前半全てを使って延々と語るところです。この、読者のプライドを徹底的にぶち壊すところが凄まじい。そして前半全てを使って「わかった?オリジナリティなんてものはないんですよ。」(※要約しすぎました、ここまでは言ってません。)という感じにまとめたところで、後半にやってくるのは少年漫画の大ヒット作の要素分解です。
この少年漫画は世界観がSFで舞台が学園で、主人公でこうで、敵キャラはどうで、テーマがこれで物語の進行がこれ、とだれもが知っているマンガのタイトルを並べて要素分解を行い。これでもかとヒット作の要素が網羅されたところで「さぁパクれ!」と投げかけてきます(※またしても要約しすぎました、本書はこういう言葉使いではありません)。
「物語の体操」でも冒頭から、ライトノベル新人賞の選考員が「どの作品にも左右の目の色が違う(オッドアイ)のキャラクターばかりが登場する、もっとオリジナリティーを!」と言ったことに「ちょっと待て、あなたの言うオリジナリティーは何なのよ?」と噛みつくところから始まります。
最終的に本書では実践編にまで進み、既存の作品の物語の進行要素を分解し、それぞれの要素をカードに書き記しランダムに入れ替えて出来た要素を元に強引に物語を作って見せろ、そしてそれを100回やってみせろという訳です。
同じパクる(と云う言葉はつかわないですが)にしたって、頭の中で考えると如何にもありがちな要素の並べ替えになり、どこかで聞いたような話になってしまう、だから同じパクるにしてもカードをランダムに配置して出来るような、自分でも想像がつかないパクリ方をしてみろという訳ですね(※極論で要約しました)。
そして同様のテーマの続編「キャラクターメーカー」では、徹底的に模倣を重ねた結果、真似しきれず自分でも分からないものが混じって出来上がった創作物、それがオリジナリティーだと云うような話の流れになっています。
残念ながら音楽ノウハウ本では、音楽理論及び機材マニュアルが殆どですが、ちょっと横の創作分野ではこんなに面白いことが書かれた本を沢山出版されています。これらはものすごく作曲に役立ちますので、作曲家の皆さんもちょっとだけでも目を向けて見てはいかがでしょうか。
おまけ DJ KENTARO × 津軽三味線
長くなりましたが、no nameさんメールありがとうございました。以上、全て詭弁です。






