[TEXT]自分語り108 日活ロマンポルノと美少女ゲームと東方アレンジ
【増殖するアレンジミュージック】
物凄い勢いで成長する同人音楽、その同人音楽は今アレンジミュージックの、とりわけ東方アレンジの多さが非常に目立ちます。何故東方なのか、という部分は問答無用のイオシス・ビートまりおさん達の楽曲のクオリティや日本人的メロディの魅力等、色々あると思います。ですが、この手の話題は東方ファンのブログで散々繰り広げられている議論だと思われますし、それについては考えません。
ですので、何故数あるアレンジの中で東方なのかという部分は置いておいて、同人音楽の最大規模のアレンジジャンルであるこの東方アレンジを何故これ程まで多くの作家がリリースしているのかを考えてみたいと思います。
【日活ロマンポルノ】
私達の世代となるとさすがに実際に見たことはないのですが、日活ロマンポルノはとにかく有名です。その名の通りポルノです、エロ映画です。数多くの映画監督がポルノを撮り、とにかく大量にリリースしてゆきました。
しかしながら当然ながら全ての監督が純粋にポルノが撮りたくて撮りたくて仕方がなくてポルノを撮影してきた訳ではありません。むしろ数多くの監督が、本当は撮りたい映画があるのだけれど、きちんと映画の企画として通る企画を提出するために、日々の暮らしの為に、ポルノを撮ってきました。
しかしここで逆転の発想が起きました。ポルノさえ撮っていれば映画としてリリースが可能なのです。数多くの作家が濡れ場を撮り、しかしそれ以外の部分で、自分が本来撮りたい映画を好き放題に撮ってしまいました。改めて念を押すと、「この映画はポルノです」とさえ言ってしまえば企画が通り、最低限のお客が取れるのです。結果、数多の「何故ここに濡れ場があるのかわからないポルノ」がリリースされました。そしてポルノの現場ではありとあらゆる試みが試され、後の大監督が産まれる土壌が生まれたそうです。
作品が評価されるべくポルノである必要があり、ポルノをポルノとして見にきたお客に映画として評価を受け、ポルノから数多くの大監督が産まれました。
【美少女ゲーム】
同人出身ながら「月姫」「Fate」等の美少女ゲームシナリオで爆発的な人気を誇り、講談社ノベルスから単発小説として異例の数十万部を叩きだした作家・奈須きのこがいます。
奈須きのこは始め、ウェブサイトにて自作小説を発表していたそうです。そしてその内容をまとめ、同人小説としてリリースしましたが、当時はどうにもこうにも人気が奮いわなかったそうです。最終的に方法を変え、「月姫」という美少女ゲームのシナリオを制作することになりました。そしてこの作品がメガヒット。
何故、数ある美少女ゲームの中で月姫が売れたのはここでは考えません。私はこれらの作品のことをよく知らないため内容を分析するにはあまりにも不十分です。しかし何故自作小説が奮わなかった奈須きのこは美少女ゲームシナリオで成功を果たしたのでしょうか。
私はここに日活ロマンポルノの監督達と同じ傾向を感じました。奈須きのこ本人がどのような意志を持ってシナリオライターへ転身したのかはわかりませんし、それを語るインタビューもあるのかもしれません。しかし外から見て、美少女ゲームでありさえすれば、アダルトシーンさえあれば、後はどのように自由な物語を書いても良いという環境があったのではないかと感じます。
日活ロマンポルノが濡れ場以外のシーンをどれだけ前衛的な内容にしようとも、どれだけ大胆な内容にしようとも構わなかったように、美少女ゲームではアダルトシーン以外のシーンをどれだけ前衛的な内容にしようとも、どれだけ大胆な内容にしようとも多くの人がきちんと見てくれる場があります。
日活ロマンポルノと美少女ゲームでは随分と内容に開きがありますが、作り手が飛躍するまでの過程に、アダルトという枠を最大限に使いきったあらゆる努力が感じられます。
作品が評価されるべく美少女ゲームである必要があり、美少女ゲームを美少女ゲームとしてプレイしたお客に美少女ゲームとして評価を受け、美少女ゲームから小説家として大活躍することになりました。(逆に、だからこそアダルト要素一切抜きで大成功を果たした「ひぐらしのなく頃に」の存在は正に驚異的だと言えます。これ以降、美少女ゲームでなくても評価される体系に進みつつあるとも伺っています。)
では音楽ではどうなのでしょうか?当然ながら音楽にアダルトという要素はありません。
【東方アレンジ】
音楽にはアダルトという要素がありません。ですので単純に考えて、「出せばみんなが聴いてくれる」というものはなかなか思いつきません。しかし現在、同人音楽の世界において、あらゆる要素とあらゆる過程を通過した結果、東方アレンジは「出せばみんなが聴いてくれる」という環境を創り上げました。これは驚異的なことです。
二度目になりますが、ここでは何故数あるアレンジの中で東方アレンジなのかは考えません。今現在、圧倒的な人気を誇るジャンルとしての東方アレンジを考えます。
今、同人音楽の世界で東方アレンジは、上記で述べたような日活ロマンポルノ・美少女ゲームの方法論が実践されているのではないかと考えています。つまり、東方アレンジでありさえすれば、アレンジ方法をどれだけ前衛的な内容にしようとも、どれだけ大胆な内容にしようとも多くの人がきちんと聴いてくれる環境がある。
この東方アレンジという環境においてあらゆる作品をリリースし、非常に高い評価を受けている作家が沢山います。というか、今同人音楽で頂点に近い人気を誇る作家の名前を考えていくと、一度として東方アレンジに関わったことがないというアーティストがほぼ思いつきません。そしてそのような作家が次から次へと商業作家へと旅立っています。正に日活ロマンポルノ・美少女ゲームの辿った道筋そのままに見えます。
作品が評価されるべく東方アレンジである必要があり、東方アレンジを東方アレンジとして聴いたお客に東方アレンジとして評価を受け、東方アレンジから商業作家として旅立っていっています。
そういった意味で、「楽曲の正当な評価を数多くのリスナーにしてもらうための場所」として東方アレンジが機能していることが、現在の東方アレンジブームの要因の一つ(あくまで要因の一つ)なのではないかと考えることが出来ます。
【東方アレンジはずるいのか?】
東方アレンジの話をすると必ず怒る人がいます、東方アレンジはずるいのだと。東方アレンジはずるいのでしょうか、私はそうは思いません。もちろん全ての東方アレンジを一括で全肯定なんて出来ません。逆に、東方アレンジを一括りに批難することも出来ないと思います。もし東方オリジナルが嫌で嫌でしょうがないのに東方アレンジをし、評価してくれたリスナーを影で馬鹿にしながら楽曲を制作していたら?とても簡単に全肯定出来るようなことではありませんね。でも逆も同じです。だから、全てを0と1で考えると大変なことになってしまいます。
東方アレンジを「楽曲の正当な評価を受けるための手段の一つ」として語りました。迂闊に書いてしまいましたが、この「楽曲の正当な評価」というものが実に曲者です。東方バッシングの一つに、東方というものを利用していることによって「楽曲の正当な評価」を妨げているというものが見受けられます。
【楽曲の正当な評価とは何か?】
この「楽曲の正当な評価」とは何なのでしょうか。東方アレンジを利用することによって妨げられる「楽曲の正当な評価」とは何なのでしょうか。考えるともう止まりませんね。
例えば東方の話からズレますが、私の場合を考えてみます。今私が関わっている商業作品と、更にはこのブログがまるごと無かったとして、そのDJ TECHNORCHに一体どれだけの人が関心を寄せるのでしょうか。「楽曲の正当な評価」のチャンスは、正にCDをプレイしたその瞬間に限られます。そのような状況のDJ TECHNORCHの真価とは?そしてそれこそがDJ TECHNORCHの「楽曲の正当な評価」なのでしょうか。「楽曲の正当な評価」とは、ただひたすらに良い曲さえ作っていれば、ある日自宅にリムジンが駆けつけ、「お待ちしておりましたDJ TECHNORCH様」と執事がお出迎えをしてくれる、そんな環境なのでしょうか。
0と1で考えるなと言っておいて非常に極端な話をしてしまい申し訳ありません。しかし「楽曲の正当な評価」更には「真の芸術」を強く主張する人にはこのような「0」に限りなく近い主張する人が非常に多いように見えます。「楽曲の正当な評価」が下されるべき「真の芸術」が生み出せるような「天才」は、ただ待っていればある日トップレーベルのオーナーからメールが来てしまうのかもしれません。
ただし残念なことに殆どの人々―と私―は天才ではありません。そして更に残念なことに数多くの天才達が、実際にあらゆる努力を行い自分の存在を主張した結果、「楽曲の正当な評価」を受けています。そんな状況でただ待っていたら、敵うはずがない…
【ゆっくりしていってね!!】
だからどうか出来るだけ一つ一つの作品を見て、あなたが真剣に考えた「楽曲の正当な評価」を下してあげてください。世界中のあらゆる作家があらゆる環境で頑張っています。ゆっくりしていってね!!


