[TEXT]自分語り116

◆ブログ壱百萬アクセス記念

 なんともめでたいことにブログのトータルアクセス数が壱百萬と相成りました。

 丁度今週は、ニューリリース告知と販売会までの間の期間となり、やはりこの時期というものは普段の1.5倍は人が訪れていることがアクセス解析でわかります。

 創作側の人間としては、自らの作品の告知こそが最も読者の関心の高い事項であるというのは大変喜ぶべきことですが、それは同時に普段のブログの記事自体はまだまだ私の作品それ自体には遠く及んでいないということがわかってしまうということでもあり、まだまだ精進していかないとならないなと実感します。

 日々のブログは時が経つに連れその内容を歪ませ、最新作に至っては音楽本の出版という珍妙奇天烈な活動へと突き進んでいますが、これからも好きなことを好きなようにやっていきますので、どうかお付き合い下さい。


◆ジャジィ爺

 それなりに混雑した車内にサックスが響き渡る。

「ジャズ?」
 私の隣で制服の少女が友人らしき人物に尋ねた。

 ジャズだ

 見ると向かいの席に平均寿命はとうに越えているであろう老人が腰を掛けている、その耳にはイヤフォン。老人がイヤフォン?いやそんなことよりもなんて音量だろう、本人に問いただすまでもなく老人の耳は遠いのだ。

 次第に混み合う車内、周りの誰もが彼の奏でるサックスを耳に入れているはずだ、しかし誰も注意しない、私もしない。

 綺麗なサックスだ…美しいメロディだ…

 老人がゆっくりと立ち上がり、さほどヒト気があるとは言い難いホームへ消えてゆく。

 もう少し聞いていたかったな…




◆「読む音楽」を書いてみて

 当然ながら今作はDJ TECHNORCHの活動として初の紙媒体出版となります。本作のあとがきは竹之内十時名義で「シュランツXの語りが最後まで続いたら大体こんな感じ?」な文章を書いて〆ているため、この記事をもってあとがきの代わりに出来ればと思います。

 いやいやそれにしても大変でした。本の出版というのは音楽CDの出版と同じぐらい――慣れていない分それ以上でしょうか――に大変なのだなというのがとりあえず出来上がっての感想です。

◆紙媒体の印刷ということ

 まず、印刷所を探さなければいけませんね。しかしながら私の周りは当たり前ながら音楽家ばかりであって、紙媒体の出版に関しては私を含めて皆からきしです。それでも作るというのだから探さなければなりません。

 えぇと国内プレスで…盤面印刷で…なんとまぁそれは音楽CDでした。表紙はフルカラークリアPPで…中身はモノクロ右綴じで…ちょっと待って欲しいクリアPPとマットPPとはどう違うのでしょうか、紙媒体でリリースをする人間ならコミケのどのサークルに聞いてもこのぐらい知っているのではないでしょうかね?しかし私は知らないのだから仕様がない。

 とりあえず印刷所へ実際に向かってそのクリアPPとやらを手にとって見てみようではありませんか、それにはとにもかくにも印刷所です。

 全てのフォーマットが完璧に決まっているといっても過言ではない音楽CDのケースに比べ――例えプレス屋で印刷したブックレットを近所のビッグカメラで買ってきたケースに入れてもハマるのですから、こんなに楽なことはありませんね――、表紙をめくった時の紙の手触り、紙と紙の隙間を通るちょっとした膨らみ、本を手に持ったときの紙のつまり具合、本屋で商業作品を手に取っていれば、こんなほんのちょっとの差が如何に出版物のイメージを変えるかを私だってわからない訳ではありません。

◆読む音楽のジャンルは何?

 しかしとにかく情報がありません。当たり前ですがマンガ向きの印刷所と小説向きの印刷所があるそうです。小説?本書は小説と同じ製本といいのでしょうか?確かにゲスト寄稿の中には小説を書いているゲストもいる――内容的に言って論述よりも創作の方が面白そうだな、と思ったゲストは何も言っていないのに本当に小説を書いてきているのだから面白いですね――けれど、本書のジャンルは恐らく評論本でしょう。

 評論?一端に本書は音楽評論本なのでしょうか?簡単に言うと自分語りであってまぁ半分自伝みたいなのなのですが、ジャンルが自伝になるともっと可愛そうな感じになるので評論にしておきましょう。

 で、どちらにせよ店頭発注依頼の段階になるまで「音楽評論」というジャンル名は必要ありません。ここでは「小説」で良いでしょう。ということで小説向きの印刷所です。

◆中小印刷業界を支える同人誌業界

 しかし探せば探すほどいくらでも出てくる出てくる。如何にコミックマーケットを頂点とした自費出版つまり同人誌の世界が中小印刷業を支えているかがわかりますね。亡くなったコミックマーケット元代表米沢嘉博氏が「中小印刷業・運送業への打撃を考えると、もはやコミケを中止することは出来ない」と答えていましたが正にその通りの状況です。コミックマーケットで高いシェアを奪われた更に小さな印刷業者では、「オンリーイベント」と呼ばれる極端に狭い範囲に限定されたイベントに特化した売り込みをやっているようですね。

 例えば実際に印刷所へお伺いした時に壁に貼られていたこの印刷所のタイアップオンリーイベントのチラシによると、確かヤングジャンプとかでやっていたコミックの登場人物二人のボーイズラブ専門イベントでした。しかも二人は主人公ではないどころか、受けと攻めの方向まで既にオンリーイベントのタイトルによって指定されています。

◆「今一番の勢い」のはずの同人音楽の小ささ

 凄まじい…このイベントに50組集まるのか100組集まるのかは知りませんが、音楽の即売会なんて全ての枠を撤廃したノンジャンル即売会M3ですらあの規模が限界だというのに、コミックの世界ではここまで限定しても人が集まるのですね。今まで知識としては知っていましたが、いざ毎日のように詰まったオンリーイベントのスケジュールカレンダーを見せ付けられると――その数、年間1000――規模が拡大してきたと言われている同人音楽が如何に小規模なものであるかと実感させられます。

 そんな中でも恐らく音楽と文章が両方好きでなければならないであろう私の今回の出版とは海に投げ込まれた石礫のようなものなのしれません。しかしとにかく後悔するならやって後悔してみせましょう。

◆比例媒体

 実際に印刷所が決まり製本へ向けて歩みだすと、とにかく驚くことが多かったですね。まず、印刷代がほぼ比例であること。音楽CDのプレスの場合は版さえつくってしまえばある一定の数に至るまではどれだけ少数生産しても大してコストは変わらず、ある意味では大量生産の場合に効率の良い生産が行えます。しかし紙はどこに金が掛かっているのかというと紙そのものと印刷代であって、どれだけ小部数で生産してもどれだけ大量に生産してもただひたすら比例で制作費が増していきます。うわぁこれは大変だ…

 コミケの壁サークルのような発行部数までいけばきっと何か発行部数の音速の壁のようなものが見つかって一気にコストが下がったりするようなことがあるのかもしれませんが、私達のような初出版の人間にとってはこれは実に大変な作業です。

 そして普通同人誌は16Pとか長くても30Pとか、そういったラインで生産しているのですが、私の音楽本に関しては少なくとも200Pを割るとは思えませんでした。そしてこれも比例で挙がっていきます。そして印刷所によっては製本の限界があるそうで、本書に至っては後一人ゲスト寄稿がいたら製本の限界を超えてしまうところでした。うわ、なんだこれ、ボスオンパレードと比較にならないぐらい小部数発行だというのに、既にボスオンパレードのプレス代を超えています…

◆紙を舐めていた

 予想外の事態はこれだけではありません。デザインさんと打ち合わせをしているととにかく驚くことばかりです。「文字にマスタリングがいるのか…」知りませんでした。私は文章を作ってそれを渡してまとめてはい終わり、というものだと思っていたのですがこれって音楽CDよりも大変なんじゃないんですか?みたいなマスタリングの作業がありました。本を作るというのはこんなに大変なことなのですね…

 予めページ数を決めなければならないということにも驚きました。音楽CDでは収録分数の限界にだけ注意して出来たものをそのままマスタリングに回せば良いのですが、紙に至っては背表紙というものがあり、その背表紙には当然ながら厚みがあるのです。まだ、完成していない原稿を目の前にページ数を予測で立てるのはとても心臓に悪い作業でしたが、なんとか完成してみると大よそその通りのページ数に収まり一安心でした。

 しかしながら紙で恐ろしいのはこのページ数という存在ですね。本書の場合は奇跡的に予測のページ数と内容が揃いましたが、これを誤れば帯に短くともタスキに長くとも内容に響きます。響くというか歪めますねこれは…きっとこのようなページ数に合わせた内容の変更というのは商業作家さんなら誰もが経験していることなのでしょう。習慣連載漫画なんてむしろこれのために起承転結があるんじゃないかといえる程の恐怖です。こうして別々の業界を跨いで活動をしてみると予想だにしない出来事が頻発し、非常に新鮮ですね。

◆改訂・自分語り

 あまりにも製本という作業が新鮮過ぎて内容について語らぬままここまで来てしまいました。本書は基本的に自分語りの改訂なのですが、なんだか大体の部分が書き下ろしとなりました。

 初めはそれこそ、ウェブに載っている自分語りを一冊の本としてまとめる――少々イメージが悪いですがブログ本のような形式――を目的としていました。しかし、これが並べなおしてみると、その日その日に思いついた論述をその場その場で書き連ねているような自分語りが、一冊の本にまとまるはずがないのです。ちょっと考えてみれば当たり前なのですが、これに気がついた瞬間、私の執筆量が120P程増えることになりました。

本なのです。当たり前ですが起承転結が必要なのですね。「読む音楽」という大目的と、結論に向かって述べたりないことは、案外あっさりと決まりました。「GOTHIC SYSTEM」製作時もそうだったのですが、これまで聴いてきた音楽の理想の総決算みたいな作曲だったので割りとすんなり出来た記憶があります。恐らく本書もこれまで考えてきたことの総決算なのでしょう。だから逆に言うと二冊目から大変ですね。

 書いていくうちに自分の中の考えがまとまり、これまで単発で述べてきた見解も自分がどういう考えを元にしてそのような文章を起こしてきたのかがすっきりまとまり、自分の中で沢山の新しい発見が出来ました。あぁ、楽しいですね。ひさひぶりに本当に楽しい作業です。

◆耳が馬鹿になる

 しかし、いくら面白い作業だって何日も朝から晩まで執筆・修正を行っていれば書き手はどうにかなってしまいます。話題が音楽にシフトしますが、よく音楽を作っていると、「耳が馬鹿になる」という状態に陥り、音質的な面では低音を完全にカットした状態で聴いていることに気がつかないとか――締め切り直前、最終ミックスダウンの段階でこの状態に陥ったらアウト――、音の広がりが理解出来なくなるとかそういう状態になり、音楽的な面では自分の曲が世界で一番良い曲に聴こえ、明らかに破綻した部分があってもむしろそれが持ち味にすら聴こえてしまう状態になってしまったりします。

◆天才病

 話は脱線したまま進みますが、私はこのような後者の音楽的に耳が馬鹿になった状態を、「天才病」と呼んでいます。音質的な面は音量に気をつけるとか、時間が解決してくれるとか注意を払っていればなんとかなることが多いのですが、こちらの天才病はどう注意していても突然やってくるのでとても厄介です。

 至上最高傑作だ!と喜び勇んで提出した楽曲を翌朝に聴きなおすと、端にも棒にも掛からないような楽曲だったこと特に初期にはよくありました。この天才病もある程度慣れてしまうと、それはそれで厄介なことになり、今自分が製作中の楽曲が果たして良曲なのか、それとも天才病故に翌朝にはゴミのような扱いになってしまうようなトンデモ曲なのか判断がつかず、自分を信用出来ない状態に陥ってしまいます。

 こうなってしまったあら仕方がありません。天才病を沈静化させるためには、締め切りに余裕がある場合は散歩に出て気分を一新したり、締め切りに時間がない場合は他人に楽曲を送りつけて相手の気持ち担って聴いてみる等の緊急待避が必要になります。私の場合はこの他人に楽曲を送りつけるというのが、とても有効に働く性格なようで、例えまだ相手が聞いていなくても、データ送信が100%に達した瞬間、「俺は何を創っているんだ…」という嫌な方向に達観することがよくあります。天才病は簡単に言うと自分大好き病ですから、とにかく是が非でも客観的にするのですね。

 私の場合は大体の場合はこれで直りますが、重病の場合はテクノのテの字もわからない家族の部屋で楽曲を再生し、ポカーンとしている家族の顔を見て客観性を取り戻します。ここまでやると客観的というか、ドープな方向に精神が歪んでしまい、作曲どころじゃなくなってくる場合がありますが、もはや手段を選んでいられない場合はとても有効です。出来れば私もやりたくはありません。

 丁度4月の頭に私は近年稀に見るほどの重度の天才病にかかってしまい、心大パニックでした。ハードコアっぽいとかレイヴィーであるとかそういうところは大体統一していながら、楽曲を作る度に違うジャンルを創ることの多い私ですが、特にその作品は実験的な作品でした。そんな作品で天才病にかかってしまったのだからもう大変。自分の曲が最高に楽曲に聴こえる瞬間と、天才病を治そうとして無理に進んだ客観性により最悪の楽曲に聴こえる瞬間が交互に襲い。なんだかもう大変なことになってしまいました。こればかりはにっちもさっちも行かなくなった私の今にも泣き出しそうな――本当に泣いていたかもしれない――電話にもきちんと対応してくれた彼女に感謝するしかありません。結局この楽曲は依頼主に大変喜ばれることとなりました。結果オーライです。

◆文章でも天才病は起こる

 やっと話が戻ります。私は自分の創作活動で一番辛いことはこの天才病とその揺り戻しだと思っていたのですが、いやぁなんとも舐めていました。音楽の天才病においては楽曲に対する判断がつかなくなってしまうことで苦しむ訳ですが、文章の天才病は物事の判断がつかなくなってしまうようです。

 朝まで晩まで執筆していると驚くことが起きました。物事の善悪の判断がつかなくなってしまったのです。そのまま放置して強引に書き続けていると、ついには物事の意味が全くわからなくなってしまいました。あれ?そもそもなんでこんなものを書いているんだろう?本を出版すると何がどうなるんだっけ?とかもはやそんな勢いですね。

 これが文章を書くに当たっての天才病なのだと気がつくまでそれ程時間はかかりませんでしが、自分の身に何が起きているのか気がつかない明け方のこの数時間は本当に気が狂うのかと思いました。恐ろしい!こんなこと一年中やってたらそりゃあ文豪も自殺するわ!(文豪の自殺は全く別の理由だと思いますが…)

◆あえて天才になってみよう

 音楽と違って書き慣れているわけではありませんから未だにどのぐらい集中すると天才病が発揮されるのかよくわかりません。これは結構な恐怖です。楽曲製作に関しては意図的に天才病を発病して、それを一切揺り戻さずに楽曲製作を行うと――一般的な評価はさておき――後で聴いてもなかなか面白い楽曲が出来ることがわかっていますので、最近はあえて発病状態で作曲することもあったりします――直近の具体例ではDestroy BOSS ON PARADE等、こういう時は部屋の中を飛び跳ねながら楽曲製作をしているので見た目完全に狂人――

 ということで、もしかしたら文章に関しても今後は意図的に発病状態で書いてみるのも面白いかもしれません。意図的ではないとはいえ丁度うまい具合に発狂してしまい、それをなんとか文章における天才病だと気づくことが出来ましたので、物は試しにと、まだ本文執筆中ながらこれを利用して巻末「竹之内十時 / シュランツX 科学という宗教」を書いてみました。読み直すとかなり自分でも痛い内容ですね。ちなみに一切修正していませんので、本をお手にとって是非ご覧下さい。というか今日の自分語りだけでも十分に気持ち悪い気もします…

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